2,3日で読み切ってしまった本なのですが、女性が暴行を受け、復讐を考えていたものの、度重なる環境の変化の中で、復讐をすることすら馬鹿げているといった境地に至る内容でした。世の中は理不尽なものと現実でも理解しています。この本にも同じことを言っている人がいました。どの世界にも、権力をかざして横暴を振るう人なんてザラにいます。私も犠牲になることが多く、過去、現在もトラウマになるほど嫌な思いをしました。加害者に対し、復讐をすることは考えないまでも、順風満帆に見えたりするとこの世が信じられなくなります。罰が下っていなければ満足せず、自分の中で愚痴や文句が出てきてしまうのです。「そんな人、ほっときなさいよ」と他人は言いますが、喰らっていない他人だから言えるのです。こんな理不尽、他の人は受けているのだろうか?とよく考えたものですが、「因果応報」という言葉に大きく頷けるものがありました。自分に嫌なことをした人に罰が下っていないと「なぜ?」と考えてしまう自分は、まだ復讐を考えているのではないのかと。復讐を他の人、事象により行われないか遠くから見ているのです。そして、いつまで経っても呪縛から逃れられないのです。因果応報により、やりたい放題やっていた人には、いつまでもそんな状態が続く訳がないのです。では、やられた人はどうすれば良いのでしょう?少しの間、頭に残っていることは仕方がないと思います。すっぱり忘れるなんて、コンピューターからデータを削除するようにはいきませんから。忘れようとすればするほど、いつまでも抜け出せない人もいます。そこで、私が考えたのは、今よりも良い生活をしていくにはどうするかをひたすら考える、思えば良いのではないかということです。前向きに考えろということですねと簡単にあしらわれそうですが、分かっているようで、できないもの、知らなかったことなのです。明日からは自分で切り開く人生にしよう、嫌なことは嫌と言える環境へ、自分の人生にもう無駄な時間を使わないぞなどと考えるのが良いと思います。人に振り回される人生なんて自分の人生じゃない、何のため自分は生まれ育てられたのだろう?自分の人生を歩むためにここまで来たんだと考えたら、今までの悩みが解消されたように感じました。http://www.fonfix.co/unaji-datsumo.html